天下人・家康の引き寄せ
2018.02.28 引き寄せ
魔術コンシェルジュ所属魔術師の橘尊行です。
前回は日露戦争を勝利に導いた要因についてお話しました。
今回は引き続き歴史ネタとして天下人である徳川家康とその引き寄せについてお話しましょう。
なぜか陰険なイメージがつきまとい、家康とともに戦国三傑と言われる織田信長・豊臣秀吉の2人と比べると人気の落ちる家康ですが、足跡を追えば決して信長や秀吉に劣らず魅力のある人物であると同時に、その生涯は決して陰惨なものではなく豪運のもと栄光に満ちたものであることが分かります。
家康の豪運
簡単にまとめてみますと、
・桶狭間の戦いにおけるまさかの今川敗戦により棚ボタ的に独立できた
・独立直後、織田家との同盟により後顧の憂いなく父の代の家臣が密かに蓄財した財源で国づくりをすることができた
・三方が原の戦いで武田信玄に大敗するもギリギリ命は助かった
・その直後に当の信玄が死去し、最大の脅威が去った
・本能寺の変の際は、明智光秀の包囲網と落ち武者狩りの手をギリギリ逃れて三河に生還できた
(別行動をしていた穴山信君は落ち武者狩りに遭って横死)
・先に天下を収めた秀吉が後継者である秀頼の成人前に死去した
・秀吉死去後、豊臣家臣団をまとめられる実力の持ち主である前田利家も間もなく死去した
・大坂夏の陣で真田幸村の猛攻の前に切腹直前まで行くが、これもギリギリのところで難を逃れた
・子宝に恵まれ、後継者を自由に選択でき、政略結婚も存分に行えた
等々。
他にも嫡男・信康を若くして正室である築山殿と共に亡くす(原因は諸説ありますが)ような不運もあれど、いずれの不運や敗戦も致命傷にはならず、常にギリギリ回避しその後すべて挽回しています。
また家康は人質として悲惨な幼少期を過ごしたというイメージがありますが、実際は織田家との人質交換という非常手段まで使ってまで今川家に迎えられ、今川家の幹部候補として重臣・太原雪斎らから英才教育を施される身分だったと言われています。
生まれる時期についても早すぎず遅すぎない絶妙の時期であり、現役時代ほぼ全期間が戦国武将として活躍できたことからも、運に恵まれ充実した生涯と言えます。
家康が魔術を使っていた可能性
さらに言えば、関が原の合戦の前には戦局を占ったり、風水の見地から江戸の都市計画を進めたり、死後は自らを東照大権現として江戸の守護神となる等、占術にも通じていることから、今で言う魔術や引き寄せの法則くらいは知っていた可能性は高いのではないでしょうか。
そうであれば、家康の天下は長生きや偶然の産物ではなく、魔術や引き寄せの結果として必然だった可能性は高いと見てよいのかも知れません。
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